第一章  その3  
         モンゴルで出逢った騎馬民族の血
「貴方が失ってしまったものは求感性何だよ」と無限のように広がるワイルドフラワーが語りかけてくる。
「受動的な感受性は暫くスイッチをオフにしなくちゃね」と満天に広がる星ぼしも語りかけてくる。
求めたからこそ今この景色に出逢えたのだろうことは充分に想像が出きる。
求めていなければ出逢えなかった本があるように。
ならば人生とは求め続けなくては停滞してしまうものなのか。
欲求とは生きる力が求め欲すること。
血流もリンパも全てが液体だから流れ続けようと欲するのならば 勿論停滞こそが死なのであろう。
しかし此処には絶妙な罠が仕掛けられている気がする。
シンメトリーな脳が受け身の立ち居ちからしかキャッチし発展できないと思い込んでいる。
だから感受性になりやすいのだ。
アシンメトリーな脳は率先して心臓を動かすように常に生きようとこの体を突き動かしてくる。 其所から求めなくては求感性は手にできないのではないだろうか。
今果てしなく広がるかのように思えるこの人生の草原の彼方に遊牧民は求感性で何を掴み取り生き抜いたのだろうか。
僕は怪我をしコリオグラファーからボデイー&マインドクリエイターに結果導かれていった頃を今必死に思い出そうとしている。
必死に生きようとするアシンメトリーな脳はその変革期を越えるために一体どんなアイデアを何処から導きだしたのであったか。
記憶の糸を辿る。
その糸の先には北極星が輝いていた。
全く気付いてもいなかった。
僕は見過ごしていたのだ。
命の光の輝きを。
きっと親はその光を赤子に見ているのであろう。
まるで蝋燭の芯の先に火が灯り易いように「此処にいるよ、此処に灯してあるよ」と先回りして示唆する女神のように、命の光は其処で輝いていたのである。
寒い中で暖を求める体の中心がマッチの微かな火にとてつもないほどの集中力を載せて薪に着火する時のようだ。
イヤ、逆なのかもしれない 薪が自分を燃やし暖を届けたいと。
その薪の心が、自分を燃やすことを許しているその身体の中心が 此処だよ。此処だよと。
導いてくれている様にさえ感じるのである。
一見女神は雪女のように冷たいのだが、その冷たさが僕を包んだ瞬間に僕の中にメラメラと炎が現れ始めたのである。
僕は戸惑う。
何故ゆえ冷が暖を生んだのか。
其れを感じた自分は全く普段とは違う自分であるのだ。
四十度近くの猛暑日にあえて熱い物を頂く事で身体から汗を出させ涼みを頂く瞬間を僕はふと思い出した。
モンゴルの草原に突然女神が現れたかと思いきや、スッと僕の中に入り込んだ。
そして胸の中心にある聴覚の受信基地に女神はささやくのであった。
「輝く光oneそして届ける光oneそれが愛!」と。
この「愛」のキーワードを頼りにいよいよ僕はシベリアに駒を進めたのである。


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